石油が支えたプーチンの第一次政権 ロシア ~近くて、遠い国~(第2回)

第二次はクリミア併合で回復

ロシアの初代大統領エリツィンが1999年末に突然の辞任を発表した際、大統領代行として登場したのが、当時首相を務めていたプーチンだった。

ソ連時代は国の諜報機関である国家保安委員会(通称KGB)に勤め、東独に駐在した経験を持つプーチンは、ソ連崩壊後に帰国し、96年まで故郷のサンクトペテルブルク市で行政に携わっていた。その後、モスクワに移り、大統領府、連邦保安局(KGBの後進)など連邦政府の中枢で重要ポストを歴任した。だが、あまり目立った存在ではなく、大統領代行に就任してしばらくは「WhoisPutin?」と言われ、ほぼ無名の存在だった。

国民による選挙を経て、00年5月に正式に大統領に就任すると、プーチンには強い追い風が吹いた。就任と時を同じくして国際的な石油価格の高騰と国内石油の増産によりロシアは好景気に見舞われた。急成長に支えられたプーチンは、中央集権化を目指す政治制度改革を次々と進め、国内の一体性を図るとともに、ロシアの国際的な立場の強化に乗り出した。

G8の仲間入りを果たし、06年には故郷サンクトペテルブルクにサミットを誘致した。これにより、ロシアに対する世界からの関心と、大統領に対する国民の人気を一気に集めた。

憲法で定められた2期8年の任期を全うしたプーチンは、08年5月から4年間、首相という制度的に一歩引いた地位に就いたが、実質的にはメドヴェージェフ大統領(当時)との二頭体制が続いた。

12年5月、プーチンは大統領に復帰する。だが、第一次政権期(00~08年)のような経済発展は期待できなかった。08、09年の世界金融危機の悪影響により、ロシア経済の停滞が続くと、一時は国民支持率も大きく下げた。

反転したのは、14年3月のクリミア併合だ。対外的には欧米による制裁を受け、欧米主要国との関係は今も改善されていない。経済的にも、国際的な石油価格の低迷やルーブル安の影響が続いている。第二次プーチン政権はいくつもの課題を抱えている状況だ。


▲(一社)ロシアNIS貿易会(東京都中央区)中馬瑞貴研究員
上智大学外国語学部ロシア語学科卒、慶応義塾大学法学研究科政治学博士課程。2008年より同社。

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